|
<福井競輪周辺グルメ歴史マップ>C
【由利公正広場】
福井市毛矢1-1 幸橋南詰(競輪場から1.6km)
☆由利公正像・邸跡☆
由利公正は福井藩出身の政治家。横井小楠に財政学を学び、橋本左内らと国事に奔走。名君松平春嶽に抜擢されて藩の財政を立て直すも、安政の大獄により謹慎(左内はは斬罪)。維新後の明治新政府では国内初の共通紙幣「太政官札」(越前和紙製)を発行するなど財政金融政策を担当。維新の雄・坂本龍馬とは親交が厚く、龍馬の来福の際は足羽川近くの山町(現照手1丁目)莨屋(たばこや)旅館や自邸で、延々日本の将来を語り合った。由利が起草した「五ヶ条の誓文」の原案は、龍馬の「船中八策」と基本思想が重なる。岩倉使節団として欧米へ渡航後に板垣退助らと「民撰議院設立建白書」を提出、国会の開設に貢献した。 福井藩時代の旧姓は三岡八郎。第4代・東京府知事に就任。
「中部競輪カップ・由利公正賞」
[WEBサイト・銅像]
[WEBサイト・宅跡]
【左内公園】
福井市左内町3-1(競輪場から1.5km)
☆橋本左内像☆
橋本左内は福井藩医の家に生まれ、若干15歳で『啓発録』を記す。稀代の秀才は、蘭方医学を学んだ後、水戸の藤田東湖、薩摩の西郷吉之助、小浜藩の梅田雲浜、熊本の横井小楠らと交流。福井藩主・松平春嶽の側近に登用され、藩政、国政に大きく関わる。将軍継嗣問題では春嶽を助け、一橋慶喜擁立を展開。幕政の改革、西欧の先進性、日本の安全保障を説いた先覚者であったが。大老・井伊直弼による安政の大獄で斬罪。25歳の生涯を閉じた。左内公園(現在工事中)には左内と両親の墓があり、市民が寄付をした銅像が建つ。
「FBC杯・橋本左内賞」
[WEBサイト]
【柴田神社】
福井市中央1-21-17(競輪場から2.4km)
☆柴田勝家像☆
猛将、柴田勝家は織田信長の重臣。本能寺の変、清洲会議の後は、秀吉と対立。賤ケ岳の戦いから北庄(きたのしょう)城に追い詰められ、妻のお市と共に自刃した。城跡には勝家とお市を祀る柴田神社が建てられ、勇猛な勝家公像が鎮座。傍らにお市と三人の娘(浅井三姉妹)茶々・初・江の像が寄り添う。
「サンケイスポーツ杯・柴田勝家賞」
[WEBサイト]
【西光寺】
福井市左内町8-21(競輪場から1.7km)
☆お市の方墓所☆
柴田勝家と、妻・お市の方(織田信長の妹)の菩提寺。境内には勝家、お市の方が眠る墓、数々の遺品が収められる資料館がある。
「報知新聞社杯争奪戦・お市の方賞」
[WEBサイト]
[2025/8/24]
|